s0met1me◆JIRN.kBNd のやんばる名護パトロール隊(起承転々)2nd

沖縄本島北部はやんばる名護エリアでの由無し事をつらつらと.

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島人(しまんちゅ)=豚人(にくんちゅ)

前にウチナンチュは牛好きではないんぢゃ?って疑問が発端で調べたけど,全方位的な「肉人」というと群を抜いて関西圏だった. ただし関西人に言わせると,単に「肉」とは即ち「牛」だ.

それに対して,ウチナンチュにとって「肉」と云えば「豚」さぁ.元々中国の表現だったと思うけど,沖縄でも「豚は(ひづめと)鳴き声以外全部食べる」と良く云われる.で前は単に家庭での消費実態の違いが分かっただけやったけど,歴史的な事情がまた一つ明らかになった.


江戸時代には既に多少食べてた地域があるらしいが,大和人に一般的に肉食が広まったんは,明治維新以降と言われてる.

しかし中国と交流の有った琉球では,元々獣食禁忌の伝統なんてのは無かったワケで,何でも(ぶっちゃけ鯨類やジュゴンもな)食べてたわけさ.


経緯をざっくり見るとこうなる.

  • 14世紀頃には既に豚が持ち込まれてたらしい.
  • 1600年代に入り,琉球王府が牛食を禁止*1
  • 冊封使(中国使節団)接待のために,1700年代になって*2養豚を強制(同時期にサツマイモが普及).

てな具合でウチナンチュには豚好きのDNAが刻まれたらしいのだ.

ただし接待に使われるくらいだったから,いつでもまともな部位が食べられるものでもなく,結構なご馳走扱いだったらしい.日頃庶民はもっぱら魚で言えば「アラ」の部位を食べてたワケで,そのために「全部食べる」習慣が定着したようだ.


とここまでは前置きみたいなものだ.先日「クンチャマー」つうものを手に入れて,煮込んでみたのがコレ

*1:羽地朝秀構造改革. それまでは祝の席で牛を屠る習慣が有ったらしいが,つまり牛好きやったのに,当時疲弊していた農耕優先とさせられた.

*2:1713 年と云われている. 冊封使に提供する豚は大量に必要で,それまでは奄美から輸入して賄っていたという.