暑い国々にはとかく辛い料理,スパイシーな料理が多いけど,沖縄は全く違う.大陸との関係を考えても四川料理(辛いものばかりでは無いのは知ってるけど)あたりの影響が有ってもおかしくない気がするけど,埋もれてしまったのか?
前に「辛い食文化について」書いたことがあるけど,沖縄には島唐辛子(コーレーグース*1)を使う習慣はあるものの,料理に取り入れてるって感じぢゃない.内地では地方によっちゃ青唐辛子を刻んで使ったりするけど,そーゆーレシピは見聞きしない.
唐辛子に限らないけど,気候的には刺激的な料理が有ってもおかしくなさそうなのに.そば屋(そばを出す食堂)はしこたま有るけど,中華料理(ラーメン)店はかなり少ない(大陸の影響を受けた歴史が有るのに).カレー専門店も多く無い.等とツラツラ考えつつもう一度調べなおした.
冊封使(中国使節団)は明・清王朝の15世紀から19世紀半ば,琉球王朝の皇帝の交代時に訪れていたもので,実はそれ程頻繁ではないってトコを見落としてた(忘れてた?).明朝の首都は北京,清朝も(盛京->)北京やけど,御冠船(うかんしん)の航路は先島諸島の各離島沿いだった様だ.
饅頭(包子),餃子,皮蛋,北京ダックや「満漢全席」で有名な北京(宮廷)料理は,元々見た目や繊細さが基本で辛い料理ってのは目立たない様子.それと中国に唐辛子が伝わったのが17世紀半ば(但し四川地域は19世紀末)なんで,未だあまり浸透してなかったか宮廷料理としては馴染まなかったのかも知れない.
冊封使とは別に那覇港近くに主に福建省出身者(造船や土木技師)によるチャイナタウンが形成されてたと言うのだが,その(航路や地理的な)関係からだろう.冠船の食料調達は主に福建で行なってたのではと想像するので,福建料理の影響も有ったのではないかと思うんだけど,福建(福州)料理は淡白で酸味と甘みが特徴らしい.
また上海料理は甘く濃厚な味が特徴,広東料理は薄味の炒め物が基本らしいから,福建省周辺にも料理に辛い影響を与える地域は無さそうだ.
さらに琉球王朝時代の海外交流は明清朝に限らず東南アジア各地とも交易があったから,そういった諸国からも辛い食文化の影響が有ってもおかしくない.がやはり同様にとうがらしが未だそれ程普及していなかったのかも知れない.
まぁ何だかんだゆうても結局のトコロはウチナンチュは辛い食べ物が好きではないってことに尽きるのだろう.逆に平均して甘い物は好きみたいな感じがする.
なるほど『アメリカの調査では、肥満体の人の大半が「辛い物は嫌い」と回答したという報告もあります。』だそうで.
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