昔から何につけツメが甘いと自覚する自分にはウッテツケの言葉だ.
読みが「がりょうてんせい」だってのを初めて知った気がする.ずっと「がりゅう」(まぁギリセーフかも)と覚え込んでた.
しかし「静」と思い込んでたのはイタイ.「晴」でもなく,正しくは「睛(ひとみ)」であると.しかしこの字はなかなか出て来ないだろう.世間でも結構間違いを見かけるが,IME 頼りが災いしてる好例かな.
でまぁ何故にこの「惜しい」に至ったかとゆうと,年始恒例らしいタモリと糸井重里の対談記事から.歳とともに完璧を求めなくなった的な発言があった.世の中惜しいくらいが丁度良いんぢゃないかとか.とは言え「惜しさ加減」がまた微妙なんだろうけど.
ザックリと言うと,残念なモノの品質が例えば60%とすると,かなり惜しいは85%くらいだろうか.今までの日本企業はそのどちらも許容しなくて限りなく100%を目指すのがフツウだったんだろうけど,その「惜しさ加減」を93%とかにすればコスト的にはきっと半分とかに実はなるんだ(100パーかけても当りとは限らんしな).
ただしその「惜しさ加減」を魅力としてアピールできるかどうかが分かれ目.
贋物を完璧なモノと偽装して出荷するよか,正々堂々と「コレ実は惜しい品物なんですけども」って言った方が余程良くね?
二番目で良いやって謙虚さとか余裕(開き直り?)が世の中を明るくする気がする.