硫黄鳥島で測量 久米島町、地籍明確化へ(見出しに元記事のリンク)
(硫黄島,南鳥島,沖ノ鳥島の連想で)一瞬小笠原諸島方面(ちなみにただの「鳥島」って無かったんだな)かと思っちまう.
しかも現久米島町所属なのに,何と『那覇市の北北東約190km、徳之島の西方約65km、沖永良部島北西約65kmに位置する。』.Google map 検索してもまともに出てこなひ.
長いけど全文引用.
【硫黄鳥島=久米島】噴火による避難のため硫黄鳥島(旧具志川村、現久米島町)の全島民が引き揚げてから29日で52年目を迎える。同町は6、7の両日、硫黄鳥島の地籍図作成のため測量調査を現地で実施した。同島の地籍図や不動産登記簿は存在せず、今回の調査はその作成作業の一環として実施された。町の現地調査は2年ぶり。
硫黄鳥島をめぐっては5月、米軍鳥島射爆撃場(久米島町)の移転候補地として国が検討していることも明らかになった。町は「今回の調査は以前から予定していたもので、移転問題とは関係ない」と説明、平良朝幸町長が硫黄鳥島への移設反対の姿勢を明確に示している。同問題では硫黄鳥島に近い奄美地方の議会や漁協でも反発が広まっている。
町によると、2010年までに島の約94%が町有地となった。残りは国有地。これまで登記簿や地籍図が未作成の詳しい理由は定かではないが、噴火や戦争などの混乱が理由として考えられるという。今回の現地調査で航空写真の写真撮影の際に用いる対空標識を島内5カ所に設置した。
地続きの土地なら境界不確定地とか有るけど,この島の場合どー見ても鹿児島やろという疑問.
Wikipedia より.
歴史
琉球王国の時代には硫黄の採掘が行われ、中国への進貢貿易に用いていた(琉球王国では唯一の硫黄産地だった)。奄美群島が薩摩藩に併合された際、朝貢に支障をきたす恐れがあるため、そのまま琉球王国領として存続した。硫黄採掘は戦後になっても行われており、現在でもその採掘跡を認めることができる。1959年(昭和34年)に噴火のおそれがあるとして、全島民が久米島へ移住。1967年(昭和42年)にも噴火し、硫黄採掘の従事者も撤退。以降、完全な無人島となっている。