琉球独自か中国由来の行事かと思ってたけど,意外なことに内地の仏教の影響だったのか.
足を踏む動作は霊を鎮めたり土地を清めたりする意味が有るそーで.
歴史
東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという[2]。当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。与那国島で始まったのは80年ほど前と言われている。なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。[3]。念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している[4]。
戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。この地域は青年層の人口が多く、旧コザ市(現在の沖縄市)で1956年に始まった全島エイサーコンクール(現・全島エイサー祭り)の影響もあって、観客を意識した派手な衣装や太鼓のパフォーマンスなどが取り入れられた。一方で、名護市以北の本島北部では手踊りの伝統エイサーも続けられている。
(略)
勇壮な太鼓エイサーの迫力は凄いなと思うものの,耳がデリケートなオレは間近では耳塞がないと見てらんないのだ.
なんでそれは失礼だろうと早々に離れるのが常.さっきからあちこちでやってる最中なんだけど,家から結構離れたトコでやってるのが聞こえるので丁度良い位w.