『お前トマト食えるようになったんだ.』
『ああ.悲しいよなぁ.歳取ると好き嫌いも無くなる.』
とか確かそんなセリフだったかかな.「ハワイアン・ドリーム」
メインの二人のやんちゃぶりと(タムリン・トミタもカワイかったし),桃井かおりの DJ の雰囲気と,移住者か日系2世の老人達の反骨精神ってのかな,歳なんか関係ねぇって言うか不思議な雰囲気の映画だったと思うんだ.DVD 化希望なんだけど,権利関係に何か問題でもあるのか,フィルムが無いのか出ないんだよなぁ.
歳と共に涙もろくなってるのは感じるけど,大抵のことには驚かなくなってる.仕事してた時にも,全く緊張感を失ってたワケぢゃないんだけど,殆ど冷や汗ってこともなく(それだけ普段から用心してたんだよ),少々のことでは動揺しなくなってた.でもどんなに理不尽なコトだって言いなりに受け入れろってのは別次元のハナシだ.世の中には小さい請負業者と見るや何でも聞くと,ごり押しし放題な性格な人間も居る.
そんなのに言われるままに対応してたら,自分のためにも世の中のためにもならない.
ショックの所為かかなり古い記憶が蘇って来た.
妹が生まれたちょい後までボロアパートに住んでで,通りの横筋に入り口が有った.そのアパートの2階の廊下の端には開き戸が有って,日頃は金具(壁側に輪の金具がねじ込んであって,戸の方にカギの手の金具が付いている)で留めてあったんだ.しかしその戸の外は完全に外,中空で何も無い.ハシゴも階段も無いのに「非常口」と言われていた.
ある日その戸の留め金が外れていて,2階で遊んでいたオレはそこから隣の家との間に落下して骨折した.オレが高所恐怖症になったのは,いまだにその時の体験が原因だったと信じてる.
通りの向い側に立派な一軒家ができて,同じ歳の双子の姉妹が居た.家のまん前の通りで,良く二人が遊んでた.ミホとミコとかそんな感じの名前だったかな.同じ原町幼稚園だったのかな? 仲良くなって,お家の方にも良くしてもらった.後にその一家は田園調布に引っ越して行った.子供心にレベルの違いを感じたものだったけど,もっと歳行ってたらドン引きってくらいだったろう.
そのボロアパートに住んでた頃のもう一つの不幸な記憶は,前の通りがなだらかな下りになって大通り(ったって片側一車線だった)にぶつかってたんだけど,そこを珍しく飛び出したら,漫画みたいに自転車にモロに轢かれたこと.