s0met1me◆JIRN.kBNd のやんばる名護パトロール隊(起承転々)2nd

沖縄本島北部はやんばる名護エリアでの由無し事をつらつらと.

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琉球の年越し料理

近年は沖縄でも「年越しそば」(もちろん沖縄そば)が定着した感があるけど,実はさして歴史のあることではないようだ.だいたい七五三なんかにしても,内地の習慣が取り入れられたもので,ちょいと前迄はやってなかったと云う.


で調べてみると昔は「テビチ汁」や「ソーキ汁」を作るのが普通だったみたいだ.

豚が中国から琉球に渡ったのは、薩摩の琉球侵略より四年前の1605年である。豚は琉球人にとっては、家屋敷の守り神であり、「豚神(ウアヌウカミ)」である。豚小屋と便所が同じで、そこに家屋敷の守り神が存在しているのだ。晦日の年を越す崇高な料理が豚足である。晦日の料理には、昆布と大根と豚足が典型で、豚足を食べることで来る年も脚腰が強くなり、元気で農業や漁業ができますようにという土着思想に裏打ちされた料理であり、昆布と大根を入れることで、栄養のバランスを取った先人の知恵である。最近では、料理番組で放送されて話題になるほど、沖縄の長寿と沖縄の料理が持ち上げられているが、ひと昔前は「豚足を喰う琉球人」とさげすまれた歴史があった。
(中略)
戦前・戦中・戦後も、沖縄から住みついた人には、ふるさとと同じく晦日の夜には豚足を料理した。ところが「豚足を喰う沖縄人」という偏見と差別があったために、子どもや孫に家の近くで見張りをさせて、ヤマトンチューに見られないように料理したという。

http://www.jinken-net.com/old/hiroba/2000/hiroba0007.html


上原多加子は正月は「中味汁」と云ってたな.


追記: 琉球新報の記事より.

 年越しそばについて詳しく触れていたのが1982年12月24日付夕刊の記事。その記事では、沖縄の麺類メーカー・サン食品の土肥健一社長が「12年前から年越しそばを始めたが2年間は売れなかった。復帰したころから毎年三割ぐらいずつ増え、日本そばと沖縄そばが半々」とコメント。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1639578.html